====== キューバ危機(1962年10月)当時の世界の指導者たち ======
ケネディ大統領 ( John Fitzgerald Kennedy ) | |
第35代・アメリカ大統領(1961年 - 1963年) アメリカ及び自由主義陣営を率いた若き指導者。 清新なリベラル派として、人気が高かった一方で、 ベルリン危機やキューバ危機など、共産陣営に対して強硬な対応も目立った。 キューバ危機の翌年、任期途中にダラスの地で暗殺される。 |
フルシチョフ書記長 ( Nikita Sergeyevich Khrushchev ) | |
第4代・ソ連最高指導者(1953年 - 1964年) スターリンの死により、ソ連が集団指導体制に移行すると書記長に就任。 資本主義諸国に対しては平和共存路線を進める一方で、 スターリン批判を展開し、東欧諸国に対しては厳しい締め付けを行う。 キューバ危機での対応や、自身への権力集中化が反感を買い失脚。 |
ディーフェンベイカー首相 ( John George Diefenbaker ) | |
カナダ(1957年 - 1963年) 「カナダ主義」を掲げ、国内産業の保護や北部地域の開発を進める一方で、 カナダの独自性を守る為、隣国の超大国アメリカとは一定の距離を保つ。 ケネディ大統領を「金持ちのボンボン」と見下していた事もあり、 キューバ危機の際には、アメリカからほとんど情報を得られなかった。 |
マテオス大統領 ( Adolfo Lopez Mateos ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
メキシコ合衆国大統領(1958年 - 1964年) 頻発していた労働運動を硬軟合わせた対応によって沈静化させる。 社会主義政策は企業家から反発を受けるも、一般国民の支持は厚かった。 西側・第三世界・キューバと活発な外交を行い五輪とワールドカップを誘致。 また、中南米非核化を目的としたトラテロルコ条約を推進した。 |
チアリ大統領 ( Roberto Francisco Chiari Remon ) | |
パナマ大統領(1960年 - 1964年) 国民の生活レベルを上げる為に積極財政を行うが、国家財政は大赤字に。 エジプトのパナマ運河国有化に触発され、運河地帯での国旗掲揚を許可。 1964年、国旗を掲揚しようとした学生がアメリカ人に暴行され、デモに発展すると、 アメリカ軍が介入して400人以上が死傷し、チアリはアメリカとの国交を断絶する。 |
カストロ議長 ( Fidel Alejandro Castro Ruz ) | |
初代・キューバ最高指導者(1959年 - 2008年) 1959年、キューバ革命で親米政権を倒して権力を掌握。 これによりアメリカから、政権転覆やカストロ暗殺を計画された事で、 ソ連へと接近し、キューバの社会主義国化を宣言。 ソ連がキューバにミサイル基地を建設した事から、キューバ危機が始まる。 |
ボネリー大統領 ( Rafael Filiberto Bonnelly ) | |
ドミニカ臨時大統領(1962年 - 1962年) 1962年1月、ドミニカ軍の反共反米派によるクーデターが勃発。 しかし、2日後に軍内親米派によるカウンター・クーデターが成功すると、 アメリカ寄りだった元副大統領のボネリーが臨時大統領に据えられる。 アメリカとの軍事援助協定に調印後、12月に大統領選挙を実施して退任。 |
ベタンクール大統領 ( Romulo Ernesto Betancourt Bello ) | |
ベネズエラ大統領(1959年 - 1964年) 各政党と団結して軍事政権を打ち破り、大統領に就任するが、 その直後に軍部や支配階層と手を結び、デモが起きるとこれを弾圧。 親米路線を取ってドミニカと対立し、暗殺未遂事件を起こされる。 経済政策では、創設メンバーとして石油輸出国機構(OPEC)に参加。 |
バレンシア大統領 ( Guillermo Leon Valencia ) | |
第29代・コロンビア大統領(1962年 - 1966年) キューバ革命が波及し、共産ゲリラの存在が国内で大きくなると、 アメリカ軍の強力を受け、ゲリラ鎮圧作戦を実行するも失敗。 国内に多くの共産勢力が跋扈すると、米軍から更なる支援を受けて、 ゲリラ掃討を目指すが、それが却ってゲリラ勢力の団結(FARC)を生む。 |
ヒホン大統領 ( Ramon Castro Jijon ) | |
エクアドル大統領(1963年 - 1966年) 親キューバ派であるアロセメナ政権に対し、アメリカの支援を受けて、 海軍提督ヒホンが軍事クーデターを敢行し、軍事評議会を設置。 共産党の非合法化やインテリ層の弾圧を行う一方、農地改革を実い、 一時的にはバナナ景気で潤うも、価格急落で国内経済を大混乱に陥らせる。 |
ゴドイ大統領 ( Ricardo Perez Godoy ) | |
初代・ペルー軍事革命大統領(1962年 - 1963年) 大統領選挙が混迷すると、軍部は選挙の無効を宣言してクーデターを敢行。 新たに軍事革命政府を樹立し、ゴドイはその大統領に就任する。 農民開放政策を行うが、農民が共産勢力と行動を共にしだすとこれを弾圧。 その後、軍事政権内でクーデターが起こり、ゴドイはわずか半年で失脚。 |
エステンソロ大統領 ( Angel Victor Paz Estenssoro ) | |
ボリビア大統領(1960年 - 1964年) シレスと共に民族革命運動党(MNR)を結成し、革命によって軍事政権を打倒。 キューバ危機の際は、途中でシレスを挟み2度目の大統領職にあったが、 親米路線から資本主義路線を押し進めて反発を買い、クーデターにより失脚。 その後、シスレと対立して右派路線を進み、1985年に3度目の大統領職へ返り咲く。 |
ストロエスネル大統領 ( Alfredo Stroessner Matiauda ) | |
パラグアイ大統領(1954年 - 1989年) 1954年、軍事クーデターを起こして大統領に就任。 共産党の非合法化や、報道・発言の自由を抑制するなど、独裁体制を施行。 反共親米路線を取る一方、ドイツ系移民であった為にナチス亡命者を匿う。 独裁は35年間続いたが、冷戦の終結が近付いた1989年にクーデターで失脚。 |
アレッサンドリ大統領 ( Jorge Alessandri Rodriguez ) | |
チリ大統領(1958年 - 1964年) 左派連合の候補を僅差で破り、右派連合の候補として大統領就任。 しかし、その後の物価高騰と緊縮財政により、左派支持率が高まると、 アメリカはCIAを派遣し、チリ国内での工作活動を開始する。 1970年にも大統領選に出馬するが、左派候補のアジェンデに敗れる。 Flash:「もうひとつの9・11事件 〜チリ・クーデター〜」 |
ゴウラール大統領 ( Joao Belchior Marques Goulart ) | |
第27代・ブラジル大統領(1961年 - 1964年) 左翼的な姿勢が軍部に嫌われ、権限を縮小される形で大統領に就任。 就任直後から社会主義的な政策を打ち出し、ソ連との国交も回復させ、 キューバ危機では、アメリカの強硬姿勢に反対の立場を示した為、 1964年、アメリカが後援した軍事クーデターにより、ウルグアイへ亡命。 |
アリソン大統領 ( Faustino Harrison Usoz ) | |
ウルグアイ大統領(1962年 - 1963年) 同じ国民党のベニート・ナルドーネの跡を受け、大統領に就任。 しかし当時のウルグアイ大統領は、1年交代が慣例であった為、 特に目立った功績もないまま、ファウスティーノ・アリソンもわずか1年で、 次のダニエル・フェルナンデス・クレスポに大統領職を譲る。 |
ギド大統領 ( Jose Maria Guido ) | |
アルゼンチン大統領(1962年 - 1963年) 左派勢力の躍進を恐れた軍部が、選挙の無効を訴えてクーデターを起こし、 上院議長であったホセ・マリア・ギドが傀儡の大統領として据えられる。 キューバ危機では、アメリカによる封鎖作戦を支援するが、 軍事政権内で陸軍と海軍が対立すると、海軍の反乱により失脚へ追い込まれる。 |
トール首相 ( Olafur Thors ) | |
アイスランド(1959年 - 1963年) 1929年のアイスランド独立党結成に参加し、1934年から27年間、党首を務める。 第二次大戦時、英米軍によって王国が占領された後、 1944年に共和国として完全独立を果たすと、トールは首相に就任し、 その後は5度の首相職を務め、首相から退いた翌年、現役議員のまま死去。 |
リーマス首相 ( Sean Francis Lemass ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
第3代アイルランド共和国首相(1959年 - 1966年) デ・ヴァレラの後を継ぎ首相就任。27年前と同じ閣僚の内閣を一新する。 党の世代交代に成功し、長老達を引退させて新世代の政治家を登用した。 イギリスとの関係改善を進め、1965年には自由貿易協定を締結。 同年には、北アイルランド首相とのはじめての会談にも成功している。 |
マクミラン首相 ( Maurice Harold Macmillan ) | |
第65代・イギリス首相(1957年 - 1963年) スエズ動乱の失敗で失脚したイーデンに代わり、1957年に首相へ就任。 「大英帝国」路線を捨て、「小英国」路線への転換を図り、 西欧諸国との連携を強化する一方、英領植民地の独立を進める。 また、アメリカとは大変緊密な関係を築いた。 |
サラザール博士 ( Antonio de Oliveira Salazar ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ポルトガル独裁者(1932年 - 1968年) 「神、祖国、そして家族」をスローガンに「エスタド・ノヴォ」の成立を宣言。 一党独裁体制を築き、秘密警察を用いて共産主義者・反体制派を弾圧した。 殖民地の独立運動に対しては強硬姿勢を取り、ポルトガル経済を疲弊させた。 1968年、昼寝中の事故により2年間目を覚まさず、その間に権力を喪失した。 |
フランコ総統 ( Francisco Franco ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
スペイン独裁者(1939年 - 1975年) スペイン内戦に勝利し総統に就任。但し、第二次世界大戦では中立を堅持。 戦後も一党独裁のファシズム体制を維持し、一時的に国際社会から排除される。 しかし、東西冷戦の激化に伴い、反共という観点から西側との関係は改善した。 スペイン前国王の孫を後継者に指名した後、死去した。 |
ド・ゴール大統領 ( Charles de Gaulle ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
フランス第五共和政・初代大統領(1959年 - 1969年) 第二次世界大戦では、自由フランス軍を率いて枢軸国と戦った。 1958年第五共和政が成立。第三の極を提唱し、独自外交路線を進んだ。 アルジェリア独立オ承認やフランスの核武装化等を行う。1969年引退。 権威主義的と批判された一方、31回に及ぶ極右テロの標的にもされた。 |
ファンファーニ首相 ( Amintore Fanfani ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
イタリア共和国閣僚評議会議長(1960年 - 1963年) 1954年、第一次組閣。キューバ危機当時は彼の第三次内閣だった。 中道左派政党、キリスト教民主主義の党首として同国経済の復興に貢献。 その一方、同党を含む連立与党は長期政権特有の腐敗、汚職を抱え込んだ。 90年代、汚職による党勢の衰退と解党を見届け、1999年に病没。国葬。 |
ルフェーブル首相 ( Theodore Joseph Alberic Marie Lefevre ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ベルギー王国首相(1961年 - 1965年) 弁護士。1946年に代議員に初当選し、1961年から同国首相を勤めた。 同国内政の中でも極めてデリケートな問題である、言語問題に取り組んだ。 言語境界線の確定を議会に求めた事で、全国で議論、運動が白熱する。 1963年には言語境界線を確定させ、言語紛争を減少させる事に成功した。 |
デ・クヴァイ首相 ( Jan Eduard de Quay ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
オランダ王国首相(1959年 - 1963年) 元教員。戦前は補給部隊で従軍。独占領下で一時逮捕され、解放後潜伏。 1945年に初入閣。1959年にカトリック民主勢力の党首として首相就任。 任期中に西パプア問題が発生した他、ベネルクス経済連合が発足している。 これの経済連合は後の欧州共同体、そして現在の欧州連合へと発展した。 |
クラウ首相 ( Jens Otto Krag ) | |
デンマーク首相(1962年 - 1968年) 社会民主主義による経済の専門家で、第二次大戦中は経済・労働問題に対応。 戦後、NATOでのデンマークの地位向上に貢献するが、国内政治での衝突で辞職。 一時アメリカに渡るが、その後に復権して経済大臣や外務大臣を務めた後、 キューバ危機が勃発する1ヶ月前、デンマーク首相に就任する。 |
ゲルハルドセン首相 ( Einar Gerhardsen ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ノルウェー王国首相(1945年 - 1965年) 労働党党首。1945年首相就任。20年もの長期間、権力の座にあった。 政府目標を上回速度での戦後復興を成し遂げ、産業の重工業化を達成。 60年代には石油開発にも成功し、収入を福祉国家の建設へ投入する。 北欧諸国では唯一NATOに加盟し、北欧の均衡維持に苦心した。 |
エルランデル首相 ( Tage Erlander ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
スウェーデン王国・首相(1946年 - 1969年) 社会民主労働党を率いて23年に及ぶ長期安定政権を築き上げる。 1949年、北欧三国防衛同盟を提唱するも失敗。 その後、1960年には欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟した。 任期を8期更新したものの、高齢により職を辞す。 |
ケッコネン大統領 ( Urho Kaleva Kekkonen ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
フィンランド共和国第8代大統領(1956年 - 1982年) 積極的な中立政策を展開し、外交的行動範囲の拡大に努めた。 東西両陣営との友好関係を築きつつ、スカンジナビア諸国との連携も強化。 1975年、ヘルシンキでの「欧州安全保障協力機構(CSCE)」の開催に成功。 四半世紀同国大統領を務めたが、病によって職を辞した。 |
アデナウアー首相 ( Konrad Adenauer ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
初代・西ドイツ首相(1949年 - 1963年) 第二次世界大戦前から一貫して反共、反ナチズム主義者だった。 1949年に首相就任。経済的急成長に成功すると共に、積極的な外交政策を展開した。 イスラエルやソ連との和解にも成功したが、東ドイツだけは承認しなかった。 1960年頃から指導力に翳りが見えはじめ、首相を辞任する。 |
ウルブリヒト書記長 ( Walter Ulbricht ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
東ドイツ書記長(1950年 - 1971年) 戦前からのドイツ共産党員で、政権獲得前は一時ナチスとの協力関係も持った。 筋金入りのスターリニストである一方、経済政策では現実的政策を実施。 「東側の優等生」と称されるが、西側を追い越す事は遂にかなわなかった。 1961年にはベルリンの壁を建設。1971年、引退に追い込まれた。 |
ゴムウカ書記長 ( Wladyslaw GomuBlka) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ポーランド書記長(1956年 - 1970年) 元対独レジスタンスであり、戦後も要職を歴任するが、一時粛清対象とされる。 スターリンの死後に釈放され、党に復帰。第一書記長に就任する。 農業集団化の廃止や教会との和解に成功し、当初は民衆に歓迎された。 しかし、自由化運動が激化するとこれを弾圧。1970年、辞任。 |
ノヴォトニー書記長 ( Antonin Novotny ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
チェコスロバキア書記長(1953年 - 1968年) ゴットワルト死後、党第一書記長に就任し、後に大統領を兼任。 スターリン批判に起因する体制の動揺を食い止める事に成功するが、 1960年代に入って経済成長が鈍化し、スロヴァキア共産党と対立。 体制への批判は、大統領職を兼任する彼に集中し、辞任した。 |
ゴルバッハ首相 ( Alfons Gorbach ) | |
オーストリア首相(1961年 - 1964年) 地方議会のリーダーとして、ドイツによるオーストリア併合に反対し、 第二次世界大戦中には、政治犯としてダッハウ収容所に収監される。 大戦が終結してドイツから分離されると、国会の議長に選出され、 1961年には議長から首相へと転身し、米ソとの中立調和体制を維持する。 |
カーダール書記長 ( Kadar Janos ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ハンガリー首相(1961年 - 1965年) 戦後のハンガリーで内相を務めたが、一時終身刑。スターリン死後釈放された。 1956年、ハンガリー動乱においてソ連からの支援を受けて首相に就任。 大量のリーダー格を処刑したが、彼の時代、ハンガリーは比較的自由だった。 経済的な行き詰まりと自身の健康問題から、首相、後に党指導部を引退した。 |
チトー元帥 ( Josip Broz Tito ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ユーゴスラビア最高指導者(1941年 - 1980年) 第二次大戦時、パルチザンを結成して抵抗運動を展開。ドイツ軍の駆逐に成功する。 「自主管理社会主義」を標榜し、カリスマ的なバランス感覚によってユーゴを運営。 外交面では、スターリンとの決別後、第三世界のリーダーとして活躍した。 1980年死去。チトーの死によってユーゴは崩壊し、泥沼の内戦へと突入する。 |
ホッジャ書記長 ( Enver Hoxha ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
アルバニア書記長(1944年 - 1985年) スターリニズムに基づいて政権を運営し、ソ連と対立したユーゴと国交を断絶。 後に、スターリン批判を展開するソ連とも国交を断絶し、中国に接近。 しかしその中国がアメリカに接近するに及んで、中国との関係も途絶。 事実上鎖国状態となる。遺言により、没後の弔問外交すら拒否している。 |
カラマンリス首相 ( Konstantinos Karamanlis ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ギリシャ王国首相(1955年 - 1963年) 1955年、国王から首相に指名され、重工業の発展と観光の産業化を推進。 国王からの解任後、国内政治は混乱。選挙に敗北してパリへ亡命する。 1967年に軍事クーデターが起こると、これを激しく非難し続けた。 軍政の崩壊後に帰国し首相に就任。国内融和と民主化に成功した。 |
ジフコフ書記長 ( Todor Hristov Zhivkov ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
ブルガリア人民共和国書記長(1954年 - 1989年) 第二次世界大戦ではレジスタンスに参加し、人民軍司令官とした帰国。 王政を廃してブルガリア人民共和国を成立させ、ソ連の衛星国となる。 1954年には第一書記に就任。自身に権力を集中させ、統制を強めた。 冷戦が終結した1989年に職を辞し、その後は隠遁生活を送った。 |
デジ書記長 ( Gheorghe Gheorghiu-Dej ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
ルーマニア書記長(1955年 - 1965年) 社会主義ルーマニアの初代指導者。 スターリン時代は国内派でありながらソ連に忠実な態度をとったが、 同僚のヴァシル・ルカ、アナ・パウケルらモスクワ派共産主義者の追放後 ソ連から距離を置く独自路線に踏み出し、 ルーマニアの脱衛星国化を実現する。 |
ザヒル・シャー国王 ( Mohammed Zahir Shah ) | |
第14代・アフガニスタン国王(1933年 - 1973年) 冷戦下という状況を活かし、米ソ両国から援助を引き出そうとするが、 ソ連に隣接する内陸国という事情から、援助の比率はソ連一辺倒に。 その後、親ソ派の従兄弟・ダウド元首相のクーデターにより亡命。国内は内戦に。 9・11テロ事件による米軍のアフガン侵攻後、2002年に「国父」扱いにより帰国。 |
パーレビ国王[皇帝パフラヴィー2世] ( Mohammad Reza Pahlavi ) | |
第2代・イラン皇帝(1941年 - 1979年) 1925年、父のレザー・ハーンが王朝を開いたことで皇太子となり、 第二次大戦で親独派の父が、連合国により退位させられると皇帝に就任。 大戦後、CIAとMI6の支援により軍事的に皇帝専政体制を築くと、 欧米寄りの政策や腐敗政治で国民の反感を買い、イスラム革命を誘発して亡命。 |
ギュルセル大統領 ( Cemal Gursel ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
トルコ共和国第四代大統領(1961年 - 1966年) ガリポリとトルコ革命に従軍した英雄であり、国民の人望も高かった。イスラム化を 進める政府に軍部は反発し、クーデターを決行。臨時政府首班に推戴され、巨大な 権力を持つことになる。軍部独裁を否定して首謀者を処断。新憲法を制定し、民主制 の回帰に尽力した。西側、ソ連、イスラム諸国と関係を深めたが、病気により死去。 |
カセム首相 ( Abd al-Karim Qasim ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
イラク共和国初代首相(1958年 - 1963年) 自由将校団を指導してハーシム王家をクーデターにより転覆させる。シリアや エジプトと親交を深めヨルダン王家を包囲した。その後ナセル主義勢力を粛清し、 共産党との蜜月を築くがキルクーク事件によって距離を置くことになる。 国内外の孤立を深め、63年にバアス党将校のクーデターに敗れて、処刑される。 |
サウード国王 ( Saud bin Abdul Aziz ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
サウジアラビア第二代国王(1952年 - 1964年) 第四皇子のファイサルを皇太子として即位。ハーシム家との敵対からナセルとの 同盟、またハーシム家との接近など、場当たりな外交政策の為に親族によって一時 ファイサルに権限を譲る。しかし60年に巻き返してファイサル派を除外し、「自由 プリンス」を登用。その後ファイサルとの権力闘争に敗れ、ギリシャへ亡命した。 |
サラル首相 ( Abdullah as-Sallal ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
イエメン・アラブ共和国初代首相(1962年 - 1963年) ムハマッド王が即位して僅か一週間後に、エジプトの支援を受けたクーデターで 政権を握る。しかし、追放された王はジッタからサウジとイギリスの援助で反攻し、 国内は内戦状態に陥る。また、政権内でもアムリーらとの間で首相座を巡って 権力闘争を繰り返し、67年11月に職を解任され、完全に失脚した。 |
クツィ大統領 ( Nazim al-Kudsi ) | |
シリア大統領(1961年 - 1963年) 1961年、ナセルによりエジプト・シリアの連合国家が崩壊すると、 シリアの大統領に就任して、ナセルとは異なり親米的なスタンスを取り始める。 しかし、こうした対応が軍部の反感を買い、クーデターによって失脚。 軍事政権は「アラブ統一」を再び掲げ、エジプト・イラクと緩やかな連邦を形成。 |
フセイン国王 ( King Hussein I ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
ヨルダン第三代国王(1952年 - 1999年) 祖父の暗殺と父の退位を乗り越えて、16歳の若さで玉座に就く。西側諸国と良好な 関係を基調とし、67年の第三次中東戦争ではヨルダン川西岸地区を失陥。70年に 暴走したPLOと対決して黒い九月事件を引き起こすも、国内からの追放に成功する。 湾岸戦争では独自行動を採るが、ヨルダンの発展と福祉に貢献した王であった。 |
ベングリオン首相 ( David Ben-Gurion ) | |
イスラエル首相(1955年 - 1963年) ロシア生まれのユダヤ人で、大戦前よりシオニズムのリーダーとして活躍し、 大戦後にはイスラエルの建国に貢献して初代首相に就任。 中東戦争に於いても勝利を収め、イスラエルという国を堅持する。 キューバ危機の時には、自身2度目の首相職にあった。 |
ナセル大統領 ( Gamal Abdel Nasser ) | |
第2代・エジプト大統領(1954年 - 1970年) 1953年にエジプト革命を起こして王制を廃止すると、翌年には大統領に就任。 「第三世界」のリーダーの1人として、欧州の植民地主義に対抗する一方、 「アラブ民族主義」を唱い、アラブの大同団結を目指した。 実際にシリアなどと合邦するも、エジプト人を優遇した為に上手くは行かなかった。 |
アブド大統領 ( Ibrahim Abboud ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
スーダン共和国初代大統領(1958年 - 1964年) 親エジプト派のアズハリ初代首相をウンマ党との結託による官製クーデターで 追い落とすことに成功し、初代大統領に就任。政治的混乱と経済危機に拘わらず、 出身母体の軍部の為に軍事費を増大し続け、南部政策を強圧的に進める。 市民は共産主義者からイスラム原理主義者まで団結、十月革命によって打倒された。 |
皇帝ハイレ・セラシエ1世 ( Emperor Haile Selassie I ) | |
最後のエチオピア皇帝(1930年 - 1974年) 世界最古の帝国の皇帝として、大戦前は黒人解放の象徴であり、 大戦終結後は、アフリカ諸国の独立や統一機構の設立に貢献。 しかし国内では皇帝独裁による政治で国が混乱し、クーデターが起きて死亡。 ちなみにジャマイカの黒人には、預言から「神の化身」として崇められていた。 |
ウスマン大統領 ( Aden Abdullah Osman Daar ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
ソマリア共和国初代大統領(1960年 - 1967年) 独立直後のソマリアは大ソマリ主義、南北・氏族対立に苦しめられ、 非常に厳しい中で初代大統領に選任された。63年にオガデン地方のソマリ人が エチオピア政府の新税に反対して殺害され、エチオピアを支援するアメリカから 離れてソ連と中国から援助を受ける。67年の大統領選挙で敗れ辞職した。 |
国王イドリス1世 ( King Idris I ) | |
リビア国王(1951年 - 1969年) 1951年にイタリア植民地の立場から独立。 国内で油田が発見されると、外国資本が大量に流れ込むも、 それが利権と腐敗政治の構造を生み出し、軍や国民の反感を買う。 結果、カダフィ大佐のクーデターが発生し、王政は廃止される。 |
ブルギーバ大統領 ( Habib Bourguiba ) | |
初代・チュニジア大統領(1957年 - 1987年) チュニジアが王国としてフランスより独立すると首相に就任し、 その後、封建的な対応を続ける王室を打倒し、自ら初代大統領に就任。 女性の地位向上など、脱イスラム色のある西欧的な政策を採る一方、 西欧の植民地主義に反発し、社会主義政策を行うなど親ソ的な振る舞いも見せた。 |
アッバス大統領 ( Ferhat Abbas ) | |
アルジェリア臨時大統領(1962年 - 1963年) フランスからのアルジェリア独立戦争が始まると、亡命政権の首班に就任。 1962年、フランスがアルジェリアの独立を承認すると、臨時政府の大統領に。 しかし、アルジェリア民族解放戦線(FLN)のベン・ベラと対立関係に陥り、 翌年、FLN一党独裁によるベン・ベラ政権が誕生すると、アッバスは軟禁される。 |
国王ハッサン2世 ( King Hassan II ) | |
モロッコ国王(1961年 - 1999年) モロッコ独立の父であるムハンマド5世の死により、1961年に王位を継承。 国際政治の場では、アラブ諸国とイスラエルの橋渡し的な役割を担ったが、 国内政治では王権強化を進めて、民主議会と対立する事も多く、 クーデターや暗殺の危機に晒される事もあったが、最後まで議会制は維持した。 |
ダッダ大統領 ( Moktar Ould Daddah ) | |
初代・モーリタニア大統領(1960年 - 1978年) パリに留学して法律を学び、モーリタニア人で初めて学士号を取得。 留学中にド・ゴール(のちのフランス救国の英雄)の娘を妻としていた事もあり、 宗主国フランスとは強いパイプを持ち、モーリタニアの独立後には大統領に就任。 スペイン領サハラの領有権を主張するも、介入に失敗して失脚する。 |
ママドゥ・ジャ首相 ( Mamadou Dia ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
セネガル共和国初代首相(1960年 - 1962年) セネガルはマリと共にマリ連邦として60年に出発し、ディアも副大統領職に あったが、ケイタ大統領と親仏のサンゴール議会議長の路線対立があったため 僅か二ヶ月で分離独立し、初代首相に収まる。しかしディアも大統領の サンゴールに社会主義を主張したために、嫌疑を掛けられて幽閉され、失脚する。 |
タブマン大統領 ( William Vacanarat Sharach Tubman ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
リベリア共和国第19代大統領(1944年 - 1971年) アメリコ・ライベリアンの真正ホイッグ党独裁の下で大統領に就任する。44年に 連合国側で参戦、51年には原住民に選挙権を拡大する傍ら、原住民の対立候補を 反逆罪に処した。便宜置籍船制度を確立し、アメリカの援助を受けつつ 多方面外交を展開。71年、入院の為に滞在していたロンドンで死去。 |
ウフェボワニ大統領 ( Felix Houphouet-Boigny ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
コートジボワール共和国初代大統領(1960年 - 1993年) 1944年のブラザヴィル会議にコートジボワール代表として参加し、60年、圧倒的支持を 得て大統領に選任される。50年代からの「イボワールの奇跡」による堅調な発展、 ウフェボワニのカリスマによる一党制によって、アフリカで珍しく軍政と無縁だった。 しかし80年代になると歪みが生じ始め彼の死後、国内は内戦によって破壊される。 |
エンクルマ大統領 ( Kwame Nkrumah ) | |
初代・ガーナ大統領(1951年 - 1966年) 大戦前から黒人解放を目指して戦った「アフリカの独立運動の父」。 独立した後には初代ガーナ大統領に就任し、「第三世界」のリーダーの1人に。 指導者たちを集めて「全アフリカ人民会議」を開催し、アフリカ諸国の独立を推進。 Flash:「アフリカ合衆国を夢見た男 〜クワメ・エンクルマの戦い〜」 |
バレワ首相 ( Abubakar Tafawa Balewa ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
ナイジェリア連邦首相(1959年 - 1966年) 「北部人民会議(NPC)」の下、1959年の連邦選挙で首相に就任。 64年の連邦選挙では西部州の暴動に軍隊を派遣するが、治安の回復に失敗する。 北部・東部・西部の地域間対立が激化していく中で、「北部化政策」を推進した。 66年1月15日、軍の一部が起こしたクーデター未遂により落命する。 |
ケイタ大統領 ( Modibo Keita ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
マリ共和国初代大統領(1960年 - 1968年) マリ連邦の大統領に就任するも、反帝国主義・汎アフリカ主義・社会主義を 掲げたために追い出されてマリ共和国の大統領となる。フラン圏離脱によって 国内経済は悪化し、民族解放組織と連帯してアフリカ統一を目指すが、文化革命 と人民軍の新設が軍部との決定的対立に至り、クーデターを招いて投獄される。 |
ディオリ大統領 ( Hamani Diori ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
ニジェール共和国初代大統領(1960年 - 1974年) 戦後、親仏派のニジェール進歩党を設立し、自治共和国首相に就任。 初代大統領に選ばれた。対外的にはアフリカの仲裁者として名を挙げるが、 内政には関心を示さず、旱魃や政治腐敗に手を打たなかった。 1974年にサヘルの旱魃が起こり、軍部のクーデタを誘発し、失脚。 |
トンバルバイ大統領 ( Francois Tombalbaye ) | |
初代・チャド大統領(1960年 - 1975年) チャド進歩党の党首として自治を目指し、植民地政府に協力して、 1960年にチャドがフランスより独立を許されると、チャドの初代大統領に就任。 その後、フランス依存で国家運営を行い、野党や反対派を廃して独裁体制を築くと、 それがチャドを内戦へ導き、軍事クーデターが起きてトンバルバイは暗殺される。 |
アヒジョ大統領 ( Ahmadou Babatoura Ahidjo ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
カメルーン連邦共和国初代大統領(1960年 - 1982年) カメルーンは東部と西部で対立があったが、親仏路線を進める。しかし72年に 単一の共和国となり、親仏を止めて東側に接近。カメルーン人民同盟の下に 一党支配を確立した。しかし、西カメルーンでは不満が燻り、79年にはクーデター 計画が露呈。部族的に分配した内閣改造でも御しきれず、健康上の理由で退任。 |
ムバ大統領 ( Leon Mba ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
ガボン共和国初代大統領(1961年 - 1967年) 自治共和国首相を57年から61年まで務める。ガボン民主ブロック(BDG)を率い、 強力に親仏政策と独裁化を進めていく。64年に陸軍の初級将校がクーデターを 引き起こすが、フランスの軍事介入のお陰で復権。鉱物資源を開発し、歳入を 増加させフランスの軍事支援を受ける。一党独裁を築きあげ、在任中に逝去した。 |
カサヴブ大統領 ( Joseph Kasa-Vubu ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
コンゴ民主共和国初代大統領(1960年 - 1965年) 親ソ・民族主義に急進化したルムンバ首相との間で政治危機を引き起こし、 モブツ参謀総長のクーデターと合流した。ルムンバ暗殺の後、 カタンガ州を除いた国内諸派をまとめ上げることに成功し、63年カタンガを制圧。 共産ゲリラには、前カタンガ大統領のチョンベを首相に据えて、コンゴ動乱を終結に導く。 |
フルウールト首相 ( Hendrik Frensch Verwoerd ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
南アフリカ共和国初代首相(1958年 - 1966年) 南アフリカ連邦から数えて第7代首相である。ホームランド構想を推し進めるも、 英首相の「変革の風」演説やシャープヴィル事件によって国内外の批判を浴びる。 60年には国民投票を実施して共和制に移行すると共に、アフリカ諸国の発言力が 高まったイギリス連邦から脱退。66年9月に議会内で暗殺される。 |
ツィリナナ大統領 ( Philibert Tsiranana ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
マダガスカル共和国初代大統領(1959年 - 1972年) 1957年に社会民主党を組織し、59年には大統領に選ばれる。親仏政策を進める 一方で西側とも経済関係を深め、67年には南アと航空協定を結び接近する。 しかし、失業率とインフレをカバーすることができず、 ラマナンツォア少将率いる軍部がクーデターを起こし、失脚する。 |
バンダラナイケ首相 ( Sirimavo Bandaranaike ) | |
第7代・セイロン首相(1960年 - 1965年) 1959年、夫であるソロモン・バンダラナイケ首相が暗殺されると、 夫の後を継いで政界へと進出し、1960年には首相に就任。 これは世界で初めての「女性首相」の誕生であった。 その後も彼女は、1970年-1977年、1994年-2000年と3度の首相職を務める。 |
アユブ・カーン大統領 ( Muhammad Ayub Khan ) | |
第2代・パキスタン大統領(1958年 - 1969年) 1958年、国政の混乱とインドの軍事的脅威が高まっていた国内情勢を受け、 全軍の最高司令官であったアユブ・カーンが無血クーデターを敢行。 自ら大統領に就任して民主化を進め、アメリカとも良好な関係を維持するが、 カシミール問題でインドと妥協した事が国民の反発を生み、辞任を余儀なくされる。 |
ネルー首相 ( Jawaharlal Nehru ) | |
初代・インド首相(1947年 - 1964年) ガンディーなどと共にインドの独立運動を指導し、独立後には初代首相に就任。 国内では社会主義的な政策を採り、外交は親ソ反米的な非同盟・中立路線を推進。 ゴアやディウなど、返還交渉に応じなかった植民都市を武力で奪還し、 国境問題では、中国やパキスタンと武力衝突するなど、武断的な側面も目立った。 |
マヘンドラ国王 ( Mahendra Bir Bikram Shah Dev ) | |
第9代・ネパール国王(1955年 - 1972年) 1955年、父王の死去に伴いネパール国王へ即位。 1959年には、憲法を公布してネパール初の総選挙を実施するも、 権力委譲を巡って内閣と対立し、国王は憲法を停止して内閣と議会を解散。 その後30年間に渡り、ネパールでは国王による親政が続く事となる。 |
ネ・ウィン議長 ( Ne Win ) | |
ビルマの最高指導者(1962年 - 1988年) 第二次大戦時、アウン・サン将軍たちと共にビルマの独立闘争を行う。 独立後の1962年、国防大臣の職にあったネ・ウィンは、 混乱を続ける国政に対して軍事クーデターを敢行し、権力を掌握。 社会主義政策による改革を行うも、経済を破綻させて世界の最貧国に転落させる。 |
サリット首相 ( Sarit Dhanarajata ) | |
タイ首相(1959年 - 1963年) 「永年宰相」の異名をもつピブン首相の下、陸軍を率いて国内統治に貢献。 その後、ピブン首相による不正選挙が明らかになり、国民が反感を強めると、 国民側に立って軍事クーデターを実行し、自ら首相に就任。 開発独裁によりタイに経済成長をもたらす一方、軍・政府・企業の癒着構造を生む。 |
ホー・チ・ミン国家主席 ( Ho Chi Minh ) | |
初代・ベトナム国家主席(1945年 - 1969年) 1930年、フランスからの独立を目指し、ベトナム共産党を設立。 大戦により駐留フランス軍を武装解除した日本の降伏が迫ると、ベトナム独立を宣言。 しかし植民地奪還を目指すフランスは独立を認めず、ベトナム戦争へと突入。 その後この戦争は、共産主義側と自由主義側の「代理戦争」へと発展していく。 |
ゴ・ディン・ジエム大統領 ( Ngo Dinh Diem ) | |
初代・南ベトナム大統領(1955年 - 1963年) 1955年、首相であったゴ・ディン・ジエムは、 国民投票により元皇帝で現国家元首のバオ・ダイを追い落とし、大統領に就任。 熱心なキリスト教徒であった為、アメリカからの支持は強かったものの、 仏教徒の弾圧などにより国民の支持は低く、クーデターが起きると暗殺される。 |
シアヌーク国家元首 ( Norodom Sihanouk ) | |
カンボジア国家元首(1960年 - 1970年) 植民地時代はフランスが、傀儡国王として幼少のシアヌークを即位させたが、 独立後には王位を父親に譲り、自身は政界へと進出して首相に就任。 国王が死去すると王位を空位とし、新設の「国家元首」に就任。 その後、クーデターが起きて内戦へ突入し、内戦終結後の1993年に国王再即位。 |
ラーマン首相 ( Tunku Abdul Rahman ) | |
初代・マラヤ連邦首相(1957年 - 1970年) 第二次大戦終結後、マレー半島でも独立の気運が高まり、政治活動に参加。 独立して首相に就任すると、シンガポールやボルネオ島北部の回収を目指し、 1963年には、イギリスからそれら地域を取り戻して「マレーシア」を建国するも、 翌1964年には、マレー系と中華系の対立からシンガポールを国家より追放。 |
マカパガル大統領 ( Diosdado Macapagal ) | |
第9代・フィリピン大統領(1961年 - 1965年) 貧しい農村から法学を学んで身を起こし、「庶民の擁護者」と呼ばれたが、 大統領としては、農地改革や工業近代化を試みるも成果を上げられなかった。 またサバ(ボルネオ北東部)の領有権を訴え、マレーシアと対立。 ちなみに、第14代アロヨ大統領はマカパガルの娘。 |
スカルノ大統領 ( Sukarno ) | |
初代・インドネシア大統領(1945年 - 1967年) 大戦終結直後に独立を宣言し、オランダ軍との戦闘の末、独立を勝ち取ると、 アジア・アフリカ会議を開催し、「第三世界」のリーダーの1人として注目される。 1965年に国連から脱退し、容共・反米・反国連の路線を採るとクーデターを誘発。 クーデター自体は軍により鎮圧されるが、その後は軍に実権を奪われる。 |
メンジーズ首相 ( Robert Gordon Menzies ) | |
第12代・オーストラリア首相(1949年 - 1966年) 1939年-1941年、1949年-1966年という戦前戦後の激動期に、 オーストラリアの歴史で最長の任期を務めた首相。 頑強な反共主義者であり、東南アジアの共産化や中国の拡大を恐れた事から、 アメリカの反共政策を大いに支持し、ベトナム戦争でも支援を惜しまなかった。 |
ホリヨーク首相 ( Keith Holyoake ) | |
第26代・ニュージーランド首相(1960年 - 1972年) 1957年に初めて首相になるものの、総選挙に敗れてわずか3ヶ月で失職。 しかし3年後の総選挙で勝利すると、以後13年にも及ぶ長期政権を樹立し、 ニュージーランドに経済的な繁栄と国内の安定をもたらす。 また安全保障面では、アメリカやオーストラリアと連係を重視した。 |
ツェデンバル書記長 ( Yumjaagiin Tsedenbal ) | |
モンゴル最高指導者(1952年 - 1984年) 長年独裁を行ってきたチョイバルサンが死去すると、 その後を継いで首相に就任し、権力を掌握。 モンゴル併合を望む中国に対して激しく反発し、 「ソ連16番目の共和国」と呼ばれる程、ソ連偏重の政策を行った。 |
劉少奇 国家主席 ( Liu Shao-qi ) | |
第2代・中華人民共和国国家主席(1959年 - 1968年) 国父である毛沢東が、国内政策の失敗により大量の死者を出した為、 責任を問われた毛沢東の後を継ぎ、第2代の国家主席に就任。 文化大革命によって毛沢東が返り咲くまで、中国の政治的な実権を握る。 またキューバ危機ではソ連を非難した事で、西側にも「中ソ対立」が明らかになる。 |
蒋介石 総統 ( Chiang Kai-shek ) | |
初代・中華民国総統(1948年 - 1975年) 孫文の信頼を得た事で頭角を現し、1943年には2度目の国家主席職に就任。 その後、中華民国憲法を施行して中華民国の初代総統に就任するも、 毛沢東率いる中国共産党に敗れ、台湾を除く中国全土の統治権を失う。 しかし蒋介石は「大陸反抗」を諦めず、台湾では38年間も戒厳令が続く事となる。 |
金日成 書記長 ( Kim Il-sung ) | |
初代・北朝鮮最高指導者(1948年 - 1994年) 1948年、ソ連の後押しを受けて北朝鮮を成立させ、 1950年には朝鮮統一を目指し韓国へと侵攻し、朝鮮戦争を勃発させる。 キューバ危機の頃は党内の粛正をし、独裁体制の確立を進めていた一方、 経済面では、混乱を続ける韓国よりは好調であった。 |
朴正煕 議長 ( Park Chung-hee ) | |
のちの韓国大統領(1963年 - 1979年) 1961年、政治的な混乱が続く韓国で軍事クーデターを敢行。 国家再建最高会議議長に就任し、2年後には建国後3人目の大統領に就任。 日本との人脈を活かし、開発独裁によって韓国経済を急成長させる一方で、 民主化運動などは苛烈に弾圧した為、現在でも毀誉褒貶の差が激しい。 |
池田勇人 首相 ( Ikeda Hayato ) | |
日本国首相(1960年 - 1964年) 日米新安保条約の批准と引替えに辞任した岸信介の後を継ぎ、 戦後9人目の日本国総理大臣に就任。 「所得倍増計画」を打ち出し、日本の高度経済成長の礎を築いた。 その一方で「貧乏人は麦を食え」など、失言が多い人物としても知られる。 |
ニエレレ先生 ( Julius Kambarage Nyerere ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
初代・タンガニーカ首相[のちに大統領](1960年 - 1985年) イギリス留学後教職にあったが、政治活動へ転身を果たし初代首相に就任後一度職を辞す。 62年に大統領制が敷かれると大統領に就任。ザンジバルとの連合国家形成を成功させた。 アルーシャ宣言に基づき、ウジャマー村構想といった独自の社会主義政策を進め中国に接近。 が、経済政策の失敗から引責辞任。アフリカ連合設立に携わりアフリカの安定に大きく寄与した。 |
ケニヤッタ首相 ( Jomo Kenyatta ) ※ プロイセンさん筆 ※ | |
初代・ケニア首相[のちに大統領](1963年 - 1978年) 1963年に英連邦王国としてケニアが独立すると、初代首相として就任。共和制移行後は 初代大統領として統治した。一貫して親西側の外交を進め、アフリカの地域大国に育てる。 一方、国内では出身民族を優遇する政策を推し進め、後の民族対立の端緒となる。 |
カウンダ大統領 ( Kenneth Kaunda ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
初代ザンビア大統領(1964年 - 1991年) 62年に選挙に勝利して自治政府首相となり、64年の独立後は大統領に就任。 社会主義政策を推し進め、好調な経済成長にも支えられて一党独裁体制を築く。 アフリカ民族主義の指導者で、近隣諸国の黒人独立運動を強く支援した。 その後、国民の不満が高まり複数政党制を導入するが、大統領選に敗北した。 |
スミス首相 ( Ian Douglas Smith ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
初代・ローデシア首相(1965年 - 1979年) 植民地政府の首相に就任し、白人政府の維持を望んで英国の方針と対立。 英国から一方的に独立を宣言して、人種差別政策を推し進めた。 その為に経済制裁を受け、黒人の独立闘争も激化。国力の疲弊を招く。 最終的には調停を受け入れて総選挙に臨んだが、黒人解放組織に敗北した。 |
アル・シャービ大統領 ( Qahtan Muhammad al-Shaabi ) ※ ミクシャさん筆 ※ | |
初代・南イエメン大統領(1967年 - 1969年) FLOSYやFSA政府との内戦に勝利し、英国より独立承認を取り付け、独立後大統領に就任。 ソ連に接近しアデン港をソ連海軍の基地として提供。「アラビアのキューバ」と呼ばれる。 北イエメンとの統合促進や協調体制を進める一方、ドファール内戦で共産ゲリラへ支援を行う。 しかし、政権内では内紛が生じたため、69年失脚する。 |
リー・クワン・ユー首相 ( Lee Kuan Yew ) ※ 神楽さん筆 ※ | |
初代・シンガポール首相(1959年 - 1990年) 弁護士を経て政治に身を投じ、人民行動党を結成。59年、自治政権を獲得する。 63にはマラヤと連邦を結成するも人種対立により失敗。事実上連邦を追放された。 シンガポールが生き残る為に徹底的な商業国家を志向し、開発独裁体制を敷く。 同国の経済発展を指揮し、最も成功した独裁者の一人に数えられる。 |
ウ・タント事務総長 ( U Thant ) | |
第3代・国連事務総長(1961年 - 1971年) 出身国はビルマで、事故死したハマーショルド事務総長の後を継ぎ就任。 任期中は、キューバ危機の仲裁を行ったり、 オランダ・インドネシア間の西パプア帰属問題を処理するなどした。 ちなみにキューバ危機の時には、西パプアは国連暫定統治中。 |